【迎乗寺の縁起】
 

 正しくは、白雲山紫光院迎乗寺と申し、今より約250年から260年前(江戸時代中期)に一度焼失してしまったので、それ以前については明確ではないが、今より凡そ600年程前、室町時代 の貞和年間から康安年間(西暦1350年頃から1360年頃)に建立されたようだが、その頃は小さな庵(イオリ)のようなものではなかったかと想像される。
 すべて焼失したため、確たる資料はないが、当時懸命にやっと持ち出されたであろう御本尊様及び開山上人像(迎乗寺を開かれた上人像)等は焼失する以前のもののようである。これは開山上人像に貞享五戌辰年七月廿四日(西暦1688年―今から320年前)了弁専誉上人代に造られたと記されていることから判明される。
 寺に伝わる古き書によると、天保14年(1843年)春、任孝天皇の御代に皇族准三宮舜仁親王巡遊の砌(みぎり)、当山に立ち寄られ次の和歌を詠し給うとある。

和が宿の 千世の河竹 ふしとおみ

さも 行末は はるかなるかな

 又、歴代御住職の事は備えつけの寺院過去帖によると第二十二代良音上人(寛永年間1624年頃―今から380年前の御住職で第2次大戦に供出した梵鐘に刻まれていた)までは判明するが、それ以前の御住職即ち第二代より第二十一代の御名前が全然明らかでないのも残念なことである。焼失して後、第三十三代慈門上人の代、凡そ十一年の歳月をかけて当時の檀家・各家の絶大な御協力を得て現在の本堂が再建され、その後約270年から280年を経て現四十四代住職まで今なお厳然としてその威容をたもっている。

     
  <目次へ>